「純文学」って言葉に対するムカつき

対立軸が大衆文学だから…かな、と思った。
「オレは貴様ら一般大衆になんかに迎合した作品なんざ作らねーよ」的な意識があるんじゃないかと勘繰ってしまう。
なんかもとの意味は違った?

純文学 - Wikipedia
日本の文学用語としての純文学は、明治の作家北村透谷の評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(文学界二号・1893年2月28日)の中で、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」として定義された。

大衆小説 - Wikipedia
坪内逍遙の『小説神髄』における「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」という主張や、尾崎紅葉らの硯友社による文学の娯楽性の追及から、後の大衆小説の原型となる人情小説・風俗小説の流れが生まれた。

「大衆」文学という語の初出は、博文館発行の『講談雑誌』(1924年春の号)に使われた、「見よ、大衆文学のこの偉観」という惹句とされている。この造語により、それまで人情小説・風俗小説と呼ばれていたジャンルが、歴史小説、時代小説等を取り込んで、大衆小説として統合されることになった。

ここの定義は結構納得がいってムカつく事も無いんだけど、各ページの最初に書いてある部分が不愉快だな。元の意味と随分違うね?
「純文学(じゅんぶんがく)とは、大衆小説、あるいは小説一般に対して、商業性よりも芸術性・形式に重きを置いた小説の総称である」
「大衆小説(たいしゅうしょうせつ)とは、純文学に対して、芸術性よりも娯楽性・商業性を重んじる小説の総称である」
芸術性って何なんだよ。どうせなら芸術性と娯楽性を重んじてください。相反するものなのかな?